2012年4月6日金曜日

クリント・イーストウッド - Wikipedia


クリント・イーストウッド
Clint Eastwood
本名 Clinton Eastwood Jr.
生年月日 1930年5月31日(81歳)
出生地 アメリカ・カリフォルニア州
民族 ヨーロッパ系白人
ジャンル 映画(俳優、監督、製作、音楽)
活動期間 1954年-
活動内容 1954年:初出演
1967年:製作会社設立
1971年:映画初監督
1992年:アカデミー監督賞受賞
2004年:2度目のオスカー受賞
2006年:『硫黄島二部作』監督
配偶者 Dina Eastwood(旧姓Luis)
主な作品
監督兼出演
『恐怖のメロディ』『ガントレット』
『センチメンタル・アドベンチャー』
『許されざる者』
『パーフェクト・ワールド』
『マディソン郡の橋』
『スペース・カウボーイ』
『ミリオンダラー・ベイビー』
『グラン・トリノ』
監督のみ
『バード』『ミスティック・リバー』
『父親たちの星条旗』
『硫黄島からの手紙』
出演のみ
『ローハイド』『荒野の用心棒』
『夕陽のガンマン』『真昼の死闘』
『アルカトラズからの脱出』
『ザ・シークレット・サービス』
『ダーティーハリー』シリーズ
備考
ハリウッド名声の歩道
カーメル市長(1986年-1988年)
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クリント・イーストウッド・ジュニア(Clint Eastwood、本名:Clinton Eastwood, Jr.、1930年5月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州、サンフランシスコ出身の映画俳優、映画監督、映画プロデューサー、作曲家、政治活動家。公称身長188 cm。

俳優として数多くの西部劇やアクション映画に出演し、トップスターの地位を確立した。監督としても『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー賞作品賞と監督賞を2度受賞するなど、現代のハリウッドを代表する人物と目されている。

目次

  • 1 履歴
    • 1.1 生い立ちと初出演後の不遇
    • 1.2 TVシリーズ『ローハイド』、そして2人の師との出逢い
    • 1.3 監督業の成功
    • 1.4 今後の俳優活動について
    • 1.5 政治経歴
    • 1.6 受勲
  • 2 私生活、その他
  • 3 主な出演、監督、製作作品
  • 4 受賞
  • 5 参考資料
    • 5.1 インタビュー・伝記
  • 6 出典
  • 7 関連する人物
  • 8 日本語吹き替え

[編集] 生い立ちと初出演後の不遇

クリント・イーストウッドは父クリント・イーストウッド・シニアと母モーガン・イーストウッドの間に生まれる。スコットランド、アイルランド、ドイツ、イングランドの4か国の血をひいている。家系はメイフラワー号の乗員で港町プリマスを統治したウィリアム・ブラッドフォードを祖とする名家であるが、幼い頃の生活は世界恐慌の煽りを受け苦しかった。

オークランド・テクニカル・ハイスクール卒業後、朝鮮戦争のさなかである1951年に陸軍に召集され入隊。2年後の1953年に除隊後、サウス・カリフォルニアに移住。アルバイトの傍らロサンゼルス・シティ・カレッジの演劇コースを専攻する。1950年代初めにユニバーサル映画と契約を結ぶが、当初は『半魚人の逆襲』『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』といったB級映画の端役しか与えられないという、不遇の時代を過ごした。

[編集] TVシリーズ『ローハイド』、そして2人の師との出逢い

1959年からCBSで放映されたテレビ西部劇『ローハイド』で、ロディというカウボーイを演じる。ロディとは名前ではなくニックネームで、ROWDYつまり"荒くれ者"。同作品は約7年間に亘り150話近く製作された人気シリーズとなり、イーストウッドの知名度と人気は世界的に高まった。1964年にはセルジオ・レオーネ監督にイタリアに招かれ、マカロニ・ウェスタンの嚆矢でありかつそれを代表する作品となった『荒野の用心棒』に出演。その後も『ローハイド』の撮影の合間を縫って『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』と都合3作のレオーネ作品に出演した。イーストウッドはレオーネを師と仰ぎ、レオーネの逝去まで交友を続けた。これらの映画の人気により、イーストウッドの映画俳優としての評価はヨーロッパが 先行し、アメリカに逆輸入された形となった。

『マンハッタン無宿』で出逢ったドン・シーゲルと再びタッグを組んだ『ダーティハリー』でイーストウッドは型破りな刑事ハリー・キャラハンを演じた。これはシーゲル作品としてそれまでで最大のヒットとなり、イーストウッド本人もこの作品で人気アクション・スターとしての地位を不動にした。現在においてもイーストウッドの俳優としての代表作として真っ先に挙げられるのがこの作品である。『ダーティハリー』シリーズは、この後4作品が製作されている。


有名なラインと映画 "ナイアガラの滝は、私はそこに行かなければならない"

[編集] 監督業の成功

1968年に映画制作会社マルパソプロダクションを設立。1971年に『恐怖のメロディ』で初監督。俳優業の傍ら『荒野のストレンジャー』『アウトロー』などの作品を立て続けに発表。監督業に進出した他の役者と違い、所謂「大作」や賞レースに関わる作品への出演はせず、自らのプロダクションで製作した小規模ともB級とも呼べる作品でのみ主演し、監督業と俳優業を両立しながら地位を確立した。1987年の第45回ゴールデングローブ賞において、生涯の功績を称揚するセシル・B・デミル賞を受賞。

1992年、師であるセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げた"最後の西部劇"『許されざる者』を監督兼主演で制作。第65回アカデミー賞監督賞、作品賞を受賞、第50回ゴールデングローブ賞監督賞を受賞した。この頃から『マディソン郡の橋』『ミスティック・リバー』といった文芸性の高い作品も手がけている。

2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のアカデミー作品賞/アカデミー監督賞のダブル受賞を果たす。74歳という、最高齢での受賞記録を樹立したバイタリティは、アクション映画で培われたものであろうと驚嘆の元に迎えられた。アカデミー主演男優賞はノミネートにとどまったが、「単に監督もできる俳優」ではなく、「アクション映画から文芸映画まで幅広くこなせる、優れた監督兼俳優」という評価を確立した。

2006年に『父親たちの星条旗』・『硫黄島からの手紙』の2部作を発表。これはアメリカがかつての日米戦争において最大級の痛手を受けた「硫黄島の戦い」を、日米双方の視点から2作に分けて描くという方法で製作されている(同じような日米双方の視点による映画には真珠湾攻撃を扱ったトラ・トラ・トラ!があるが、こちらは1本の映画の中に入れている)。『硫黄島からの手紙』は、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞作品賞・第32回ロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀作品賞を受賞し、同年の賞レース最大の目玉として注目を浴びていたが、アカデミー賞では音響編集賞のみの受賞にとどまった。2007年1月、『硫黄島からの手紙』でゴールデン・グローブ賞最優秀外国語映画賞を受賞。

2006年1月ごろ、南京事件 (1937年)を題材とする中国映画『南京・クリスマス・1937』の監督にイーストウッドが抜擢されたという中国官僚の発言が報道されたが、イーストウッド側がすぐに否定するという一幕があった。

[編集] 今後の俳優活動について

2008年の『グラン・トリノ』をもって「もう積極的に役は探さない。いまの映画の役は、みんな若い役者向けに書かれているから。」と語り、実質的な俳優引退宣言を行った。今後は監督業をメインに活動するとスポーツニッポンのインタビューで語った[1]。

しかし後に日刊スポーツのインタビューでは「演じたい役があれば(俳優に)戻ってくるかもしれない」ので、自身からは" 引退 "という発言は積極的に用いないという趣旨の発言もしており、揺れ動く心情を吐露している[2]。

[編集] 政治経歴

政治活動への参加も積極的であり、1986年にカリフォルニア州西海岸にあるカーメル市市長に当選、1期2年間務めた。また、カリフォルニア州公認の共和党員であるがリバタリアニズムを主張。自ら資金を調達し、第37代カリフォルニア州知事グレイ・デイヴィスへ退陣を迫る投票を行い、民主的な政治家の政治への参加を求めるテレビCMを製作した。2003年5月には、当時開戦したばかりのイラク戦争と、開戦を敢行した国家の双方を「極めて重大な過ちを犯した」と批判。同じく政治論争に積極的で『ミスティック・リバー』で主演に起用したショーン・ペンがバグダードへ向かうのを説得して止めた。他にも、同性結婚に対して臆することなく持論を展開している。なお、民主党が映画の過激な描写を規制させる法案を制定させようとし� ��際は、先陣を切って反対を表明している。

[編集] 受勲

2007年2月17日、監督としての功績が認められ、フランスのジャック・シラク大統領(当時)からレジオンドヌール勲章を授与された。また2009年4月29日、「春の外国人叙勲」で日本政府より「映画製作を通じた日本とアメリカ合衆国との相互理解の促進に寄与」とした功績により、旭日中綬章を授与された。


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[編集] 私生活、その他

  • 古くは1962年2月21日にも『ローハイド』に一緒に出演したエリック・フレミング、ポール・ブラインガーと共に来日している。イーストウッドらが東京国際空港(羽田空港。当時、成田空港はまだ開港していなかった)に到着した時のモノクロ映像が現存し、近年でもテレビ番組で紹介された。
  • ジャズに対する造詣が深く、ジャズの巨匠であるチャーリー・パーカーを題材とした『バード』を監督、プロデューサーとして『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』を製作している。また、『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』『父親たちの星条旗』では、音楽担当のクレジットにもその名を連ねている。『さよなら。いつかわかること』では初めて音楽のみを担当した。
    イーストウッド家は代々ジャズを嗜好しており、クリントの祖母の代から始まり、クリントの息子カイル・イーストウッドはジャズ・ベーシストとして活躍している。クリント自身クラブでピアノを演奏したこともあり、かつては音楽を勉強しようとシアトル大学に入学したほどだったが、生活費を稼ぐために大学はやめざるを得なかったという[1]。
  • 1997年にファッションブランド「テハマ」(アメリカ・インディアンの言語で「大自然」の意と宣伝しているが、由来については異論もある)を共同経営者名義で設立。同名のゴルフコースも所有している。
  • 彼が出演した映画作品のチラシは、スティーブ・マックイーンと双璧を成すほど人気が高く、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』『華やかな魔女たち』『奴らを高く吊るせ!』といった作品の初版チラシに至っては1枚で数十万円単位まで価格が高騰しているものも存在する。
  • 自分の監督作品で、2年連続でアカデミー賞・助演男優賞受賞者を輩出した。『ミスティック・リバー』のティム・ロビンス(第76回・2003年)と、『ミリオンダラー・ベイビー』のモーガン・フリーマン(第77回・2004年)である。
  • 「Clint Eastwood」という名前はアナグラムで「Old West Action」(懐かしい西部劇)となる。
  • 1953年に結婚したマギー・ジョンスン(1985年離婚)との間に1男1女をもうけ(兄のカイル・イーストウッドはジャズミュージシャン、妹のアリソン・イーストウッドはモデル・女優)、ほかにフランシス・フィッシャーとの間に1女、現在の妻ダイナ・ルイスとの間に1女、隠し子として1男2女(息子は俳優のスコット・リーヴス)、と合計7人の子供がいるとされる。1996年のダイナ・ルイスとの再婚の際は、初婚のときに生まれた娘と同年代だということで話題になった。愛人だったソンドラ・ロックから慰謝料を求める訴訟を起こされたり、誹謗に満ちた自伝を出版されたりしたこともマスコミを賑わせた。
  • また健康に関して熱心であり、これまでの人生で映画の役柄以外では一切タバコを吸わない。また野菜類を用いたダイエットを長年継続しており、野菜や果物や豆腐、その他大豆製品を多く摂ることを心がけているという。
  • 現在の妻であるディナ・イーストウッドは、父がアフリカ系アメリカ人と日本人の、母がアイルランド・イングランド・ドイツの血を引く。
  • 自分の主演作の試写会へ出かけるのに、招待状を持ったかどうか何度も確認するほどの心配性でもある。
  • カンヌ国際映画祭で黒澤明監督の『夢』の上映の際、会場に入ろうとした黒澤に対し突然群衆の中から現れ、「ミスタークロサワ」と言いながらほおにキスをし、「あなたがいなかったら、今の私はなかった」と感謝の言葉を告げたという。
  • 渡辺謙とも親交が深く、2006年ゴールデングローブ賞授賞式において、イーストウッド自身の口から「偉大なる渡辺謙に感謝します」と述べた。

[編集] 主な出演、監督、製作作品

★印はセルジオ・レオーネ監督作品。☆印はドン・シーゲル監督作品。


固定観念が真である
公開年 日本語題 原題 役職 備考
監督 製作 音楽 出演
1964 荒野の用心棒 Per Un Pugno Di Dollari ○ ★
1965 夕陽のガンマン Per Qualche Dollaro In Più ○ ★
1966 続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 Il Buono, il Brutto, il Cattivo ○ ★
1967 華やかな魔女たち Le Streghe ○
1968 奴らを高く吊せ! Hang 'Em High ○
マンハッタン無宿 Coogan's Bluff ○ ☆
荒鷲の要塞 Where Eagles Dare ○
1969 ペンチャーワゴン Paint Your Wagon ○[I] ○
1970 真昼の死闘 Two Mules for Sister Sara ○ ☆
戦略大作戦 Kelly's Heroes ○
1971 白い肌の異常な夜 The Beguiled ○ ☆
恐怖のメロディ Play Misty For Me ○ ○
ダーティハリー Dirty Harry ○ ☆
1972 シノーラ Joe Kidd ○
1973 荒野のストレンジャー High Plains Drifter ○ ○
愛のそよ風 Breezy ○ ○ クレジットなし
ダーティハリー2 Magnum Force ○
1974 サンダーボルト Thunderbolt And Lightfoot ○
1975 アイガー・サンクション The Eiger Sanction ○ ○
1976 アウトロー The Outlaw Josey Wales ○ ○
ダーティハリー3 The Enforcer ○
1977 ガントレット The Gauntlet ○ ○
1978 ダーティファイター Every Which Way But Loose ○
1979 アルカトラズからの脱出 Escape From Alcatraz ○ ☆
1980 ダーティファイター 燃えよ鉄拳 Any Which Way You Can ○[I] ○
ブロンコ・ビリー Bronco Billy ○ ○[I] ○
1982 ファイヤーフォックス Firef label ox ○ ○ ○
センチメンタル・アドベンチャー Honkytonk Man ○ ○ ○[I] ○
1983 ダーティハリー4 Sudden Impact ○ ○ ○
1984 タイトロープ Tightrope ○ ○
シティヒート City Heat ○[I] ○
1985 世にも不思議なアメージング・ストーリー Amazing Stories ○ オムニバスドラマ
ペイルライダー Pale Rider ○ ○ ○
1986 ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場 Heartbreak Ridge ○ ○ ○[II] ○
1988 ダーティハリー5 The Dead Pool ○
バード Bird ○ ○
セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー Thelonious Monk: Straight, No Chaser ○
1989 ピンク・キャデラック Pink Cadillac ○
1990 ホワイトハンター ブラックハート White Hunter Black Heart ○ ○ ○
ルーキー The Rookie ○ ○
1992 許されざる者 Unforgiven ○ ○ ○
1993 ザ・シークレット・サービス In the Line of Fire ○
パーフェクト・ワールド A Perfect World ○ ○[III] ○
1995 キャスパー Casper ○ カメオ出演
マディソン郡の橋 The Bridges of Madison County ○ ○ ○[III] ○
ヘンリエッタに降る星 The Stars Fell on Henrietta ○
1997 真夜中のサバナ Midnight In the Garden of Good And Evil ○ ○
目撃 Absolute power ○ ○ ○[III] ○
1999 トゥルー・クライム True Crime ○ ○ ○[II] ○
2000 スペース・カウボーイ Space Cowboys ○ ○ ○
2002 ブラッド・ワーク Blood Work ○ ○ ○
2003 ミスティック・リバー Mystic River ○ ○ ○[IV]
ピアノ・ブルース Piano Blues ○ ○ テレビシリーズ
2004 ミリオンダラー・ベイビー Million Dollar Baby ○ ○ ○[IV] ○
2006 父親たちの星条旗 Flags of Our Fathers ○ ○ ○[II][IV]
硫黄島からの手紙 Letters from Iwo Jima ○ ○
2007 さよなら。いつかわかること Grace is Gone ○[II][IV] 音楽のみ担当
2008 チェンジリング Changeling ○ ○ ○[IV]
グラン・トリノ Gran Torino ○ ○ ○[II] ○
2009 インビクタス/負けざる者たち Invictus ○ ○
2010 ヒア アフター Hereafter ○ ○ ○
2011 J・エドガー J.
Edgar
○ ○
  • I  演奏者で参加
  • II  作詞で参加
  • III  作曲で参加
  • IV  音楽を担当
ゴールデングローブ賞
1971年: 世界人気男優賞
1987年: セシル・B・デミル賞
1988年: 監督賞 / 『バード』
1992年: 監督賞 / 『許されざる者』
2004年: 監督賞 / 『ミリオンダラー・ベイビー』
アカデミー賞
1992年: 監督賞 / 『許されざる者』
1994年: アービング・G・タルバーグ賞
2004年: 監督賞 / 『ミリオンダラー・ベイビー』(74歳の史上最年長受賞)
カンヌ国際映画祭
1988年: フランス映画高等技術委員会賞 / 『バード』
2003年: ゴールデン・コーチ賞(功労賞)
2008年: 第61回記念特別賞 / 『チェンジリング』
ヴェネツィア国際映画祭
2000年: 名誉金獅子賞・特別功労賞
LA映画批評家協会賞
1992年: 監督賞・男優賞 / 『許されざる者』
NY映画批評家協会賞
2004年: 監督賞 / 『ミリオンダラー・ベイビー』

[編集] 参考資料

  • 『クリント・イーストウッド アウト・オブ・シャドー』 ドキュメンタリー作品(ワーナー・ブラザース、監督ブルース・リッカー、2000年)

[編集] インタビュー・伝記

  • 『クリント・イーストウッド レトロスペクティブ』 序文はイーストウッド自身、公認本
リチャード・シッケル、新藤純子訳、キネマ旬報社 2010年
  • 『クリント・イーストウッド 孤高の騎士 映画作家が自身を語る』 イーストウッドの自伝インタビュー
マイケル・ヘンリー・ウィルソン編、石原陽一郎訳、フィルムアート社 2008年
  • マーク・エリオット 『クリント・イーストウッド ハリウッド最後の伝説』 笹森みわこ・早川麻百合訳、早川書房、2010年 
  • 中条省平 『クリント・イーストウッド アメリカ映画史を再生する男』 朝日新聞社、2001年/ちくま文庫、2007年
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  1. ^ イーストウッド俳優引退宣言、監督専念へ
  2. ^ "イーストウッド監督「引退」は使わない". nikkansports.com. (2010年1月18日). http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/news/p-et-tp1-20100118-586794.html 2010年1月19日閲覧。 

[編集] 関連する人物

  • ドン・シーゲル:「ダーティーハリー」の監督。「監督・イーストウッド」に最も影響をあたえた人物。
  • アーノルド・シュワルツェネッガー:カリフォルニア州知事。彼の知事当選に対し、自身の市長を務めた経験から、「これが奴の地獄の始まりよ」とコメントした。
  • マイケル・J・フォックス:映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(1990年)で、主人公マーティを演じた際、劇中でリー・トンプソン扮するマギーに「クリント・イーストウッドです」と名乗った。
  • スパイク・リー:2006年、『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』について、黒人俳優が出演していない事を理由にスパイク・リーから人種差別主義者呼ばわりされ、イーストウッドがそれに反論したことから両者とも激しい舌戦を繰り広げた。

[編集] 日本語吹き替え

日本語吹き替え版ではローハイド出演以降からは山田康雄が専任で担当しており、イーストウッド来日時には本人からフィックスとして公認されていた。しかし、93年に山田が死去し、『パーフェクトワールド』が山田の最後の吹き替えとなった。その後、野沢那智がテレビ放送時に山田の後任として『ザ・シークレットサービス』で吹き替えを務める際、山田の声にそっくり真似てほしいと要求され、困惑したという逸話がある。それからはほとんどの作品で野沢が吹き替えを担当していたが、2010年にその野沢も死去し、現在のところイーストウッドの吹き替えは作品ごとに全く異なる声優が担当する状況へとなっている。数が少ないが複数担当、もしくは一作のみで担当した声優は以下の通り。


  • 小林清志、納谷悟朗:山田康雄と『ルパン三世』などで共演していた縁で、山田の死後、それぞれビデオ版で『スペース・カウボーイ』、『目撃』の吹替を担当(TV版での担当はいずれも野沢那智)。
  • 黒沢年男:『パーフェクト・ワールド』TV版吹替を担当。
  • 瑳川哲朗:『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』のTV版吹替を担当。
  • 伊藤孝雄:『マディソン郡の橋』のTV版吹替を担当。
  • 夏八木勲:『マディソン郡の橋』ビデオ版および『荒野の用心棒』の吹替を担当。
  • 津嘉山正種:『センチメンタル・アドベンチャー』のTV版吹替を担当。
  • 滝田裕介:『グラン・トリノ』DVDで吹替を担当。
  • 多田野曜平:コレクターズボックス『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』のDVDにおける追加収録分の吹替を担当。その声質と演技力を買われて抜擢された。