『ボレロ』(仏: Boléro )は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが1928年に作曲したバレエ音楽。同一のリズムが保持されるなかで2種類のメロディーが繰り返されるという特徴的な構成を有しており、現代でもバレエの世界に留まらず広く愛される音楽の一つである。
[編集] 作曲の経緯
この曲は、バレエ演者のイダ・ルビンシュタインの依頼により、スペイン人役のためのバレエ曲として制作された。当初、ラヴェルはイサーク・アルベニスのピアノ曲集『イベリア』から6曲をオーケストラ編曲することでルビンシュタインと合意していたが、『イベリア』には既にアルベニスの友人であるエンリケ・フェルナンデス・アルボスの編曲が存在した。ラヴェルの意図を知ったアルボスは「望むなら権利を譲りましょう」と打診したが、ラヴェルはそれを断って一から書き起こすこととした。
作曲は1928年の7月から10月頃にかけて行われた。同年の夏、アメリカへの演奏旅行から帰ってきたラヴェルは、海水浴に訪れていたサン・ジャン・ド・リューズの別荘で友人ギュスターヴ・サマズイユにこの曲の主題をピアノで弾いてみせ、単一の主題をオーケストレーションを変更しながら何度も繰り返すアイデアを披露した[1]。当初は『ファンダンゴ』のタイトルが予定されていたが、まもなく『ボレロ』に変更された[1]。
初演は1928年11月22日にパリ・オペラ座において、ワルテル・ストララム(Walther Straram)の指揮、イダ・ルビンシュタインのバレエ団(振付:ブロニスラヴァ・ニジンスカ)によって行なわれた[1]。翌年、イダ・ルビンシュタインが持っていた演奏会場における1年間の独占権がなくなると、『ボレロ』は各地のオーケストラによって取り上げられる人気曲となり、世界の一流オーケストラが『ボレロ』の演奏を拒否するだろうと考えていたラヴェルをおおいに驚かせた[1]。1930年1月にラヴェルはコンセール・ラムルーを指揮し、同曲の録音を行った。
日本初演は、1931年1月28日に日本青年館にて、ニコライ・シフェルブラット(Nicolai Schiferblatt)と新交響楽団(NHK交響楽団の前身)により行われた。
[編集] あらすじ
セビリアのとある酒場。一人の踊り子が、舞台で足慣らしをしている。やがて興が乗ってきて、振りが大きくなってくる。最初はそっぽを向いていた客たちも、次第に踊りに目を向け、最後には一緒に踊り出す。
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