2012年6月3日日曜日

ボレロ (ラヴェル) - Wikipedia


ボレロ』(仏: Boléro )は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが1928年に作曲したバレエ音楽。同一のリズムが保持されるなかで2種類のメロディーが繰り返されるという特徴的な構成を有しており、現代でもバレエの世界に留まらず広く愛される音楽の一つである。

[編集] 作曲の経緯

この曲は、バレエ演者のイダ・ルビンシュタインの依頼により、スペイン人役のためのバレエ曲として制作された。当初、ラヴェルはイサーク・アルベニスのピアノ曲集『イベリア』から6曲をオーケストラ編曲することでルビンシュタインと合意していたが、『イベリア』には既にアルベニスの友人であるエンリケ・フェルナンデス・アルボスの編曲が存在した。ラヴェルの意図を知ったアルボスは「望むなら権利を譲りましょう」と打診したが、ラヴェルはそれを断って一から書き起こすこととした。

作曲は1928年の7月から10月頃にかけて行われた。同年の夏、アメリカへの演奏旅行から帰ってきたラヴェルは、海水浴に訪れていたサン・ジャン・ド・リューズの別荘で友人ギュスターヴ・サマズイユにこの曲の主題をピアノで弾いてみせ、単一の主題をオーケストレーションを変更しながら何度も繰り返すアイデアを披露した[1]。当初は『ファンダンゴ』のタイトルが予定されていたが、まもなく『ボレロ』に変更された[1]

初演は1928年11月22日にパリ・オペラ座において、ワルテル・ストララム(Walther Straram)の指揮、イダ・ルビンシュタインのバレエ団(振付:ブロニスラヴァ・ニジンスカ)によって行なわれた[1]。翌年、イダ・ルビンシュタインが持っていた演奏会場における1年間の独占権がなくなると、『ボレロ』は各地のオーケストラによって取り上げられる人気曲となり、世界の一流オーケストラが『ボレロ』の演奏を拒否するだろうと考えていたラヴェルをおおいに驚かせた[1]。1930年1月にラヴェルはコンセール・ラムルーを指揮し、同曲の録音を行った。

日本初演は、1931年1月28日に日本青年館にて、ニコライ・シフェルブラット(Nicolai Schiferblatt)と新交響楽団(NHK交響楽団の前身)により行われた。

[編集] あらすじ

セビリアのとある酒場。一人の踊り子が、舞台で足慣らしをしている。やがて興が乗ってきて、振りが大きくなってくる。最初はそっぽを向いていた客たちも、次第に踊りに目を向け、最後には一緒に踊り出す。

2012年5月18日金曜日

BRIDGE USA | ロサンゼルス近辺 INFO-TAINMENT MAGAZINE


サンタモニカマウンテン
National Park Service Visitor Center
401 West Hillcrest Dr. Thousand Oaks 91360
9:00am-5:00pm
805-370-2301

@Arroyo Sequit
34138 Mulholland Hwy, Malibu 90265

ACheeseboro / Palo Comado Canyon
5792 Chesebro Rd. Agoura 91301

2012年5月16日水曜日

いじめっ子の習性


よろこぶ人がいると、何でもアリになる

 いじめっ子に、「いじめは良くないこと?」と聞くと、なんて答えるでしょうか。もちろん、「良くない」と答えます。かれらも、ふつうの子どもです。いい映画をみれば泣くし、正義の味方も大好きです。ふだん、どんなマンガを読んでるかというと、まずまちがいなく悪人をやっつけるストーリーです。でも、いじめます。

2012年5月15日火曜日

東日本大震災:全地点で毎時1マイクロシーベルト下回る−−県・空間放射線量 /岩手 - Worldnews.com


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2012年5月8日火曜日

株式・経済ちゃんねる 「日本のラーメン」がアジアで本格フィーバー


【食文化】「日本のラーメン」がアジアで本格フィーバー [03/05]

1:ライトスタッフ◎φ ★:2012/03/05(月) 17:55:45.16 ID:???
シンガポールのチャンギ空港に一風変わったコーナーが出現した。その名も「らーめん
チャンピオン」。日本のラーメン店4店が集結した一画は、2011年12月の開設以来、
空港の利用客や従業員で大にぎわいだ。

00年代に入り、牛丼やカレー、居酒屋など、日本の外食産業の東南アジア進出が
加速しているが、中でもラーメンの人気は高い。チャンギ空港の「らーめんチャンピオン」も、
昨年7月にシンガポールの繁華街・ブギス地区に誕生した同名施設の大盛況を受けオープンに
至っている。「らーめんチャンピオン」内の2店を含めてシンガポールに計4店、インドネシア
のジャカルタに2店を開いている博多一幸舎の店主・吉村幸助氏に反響を聞いた。

「スープを飲み干す方が多く、『本当にラーメンが好きなんだな』と感心するばかり(笑)。
こちらの人の嗜好に合わせて、塩分濃度を下げ、麺をやや柔らかめにするといった多少の
仕様変更はありますが、ベースの味は日本と同じ。麺はこちらに進出している日本の製麺所の
ものを使ってます」

ラーメンをはじめ、日本の外食産業が東南アジアで躍進しているのは、周辺業者の進出に負う
ところが大きい。アジアの外食産業事情に詳しい亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジ
メント学科の茂木信太郎教授は言う。

「21世紀に入り、食材や業務用厨房機の供給からメンテナンスに至るまで、マーケット開拓の
条件が急速に整ってきた。いまのラーメン店は店によって個性が異なり、もうラーメンという
より創作料理に近い。店が複数あっても成立し魅力を増す希有な業種です」

凡庸なフードコートやレストラン街に満足できない客にとっても、テナント集めに苦労している
デベロッパーにとっても、個性が際立つ日本のラーメン店はありがたい存在のようだ。

4:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 17:57:31.83 ID:K+70p25B
なんでみんな腕組んでるの?

7:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 17:59:22.90 ID:Yjkh+y2U
>>4
ボディランゲージとしては「自己のプライド」を表す。

103:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 19:55:19.15 ID:V4F63qHU
>>4
> なんでみんな腕組んでるの?

料理の鉄人の影響なんでは?

135:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 20:52:47.99 ID:BO2esVfN
>>4
俺もよく職場で腕組んでるよ
下っ端のバイトだけど

10:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:00:07.75 ID:6TJlsGvZ
化学調味料たっぷりのスープを飲み干すなんて

13:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:04:12.47 ID:SYW09PQo
 ,;:⌒:;,
8(・ω・)8 なんで今更ラーメンが世界で流行るんだ
      ラーメンなんて昔からあるだろ

14:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:05:06.15 ID:wUrVgb9p
・黒の半袖Tシャツ
・頭にタオル
・ド派手な湯切り

15:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:06:34.92 ID:tgxyCjoG
またいつもの静かなブームってやつ?

16:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:06:45.23 ID:WJx1rwxx
でもおいしくないよwwww

19:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:08:23.04 ID:esy7atTl
画像開いたら大体想定してたのが出た

22:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:09:23.09 ID:720hDslk
二郎が進出する日も近い

25:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:10:40.44 ID:EYf4vJ3U
チョンが空気読まずに国策で出店してさらに起源も主張するんだろな

26:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:14:46.75 ID:wTUIw3qP
スープは飲み干さないのが普通ってのを教えてやらないといかんだろ。
単に知らないだけだと思うよ。

33:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:19:23.66 ID:KRpbpUjc
ラーメンもカレーも本家の人が驚くぐらいに独自進化して世界に認められる

35:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:22:24.36 ID:iakhVRb7
>>33
ラーメンは20年前より進化してるが
カレーはずっと同じじゃね?

50:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:36:36.59 ID:9ZmTewop
>>35
インド人もびっくりから出直してこい
レトルト食品になるなんてNASAもびっくりだ

56:名刺は切らしておりまして:2012/03/05(月) 18:40:31.70 ID:iakhVRb7
>>50
いやレトルトカレーなんか40年前にはあった

2012年5月7日月曜日

通常の精神分析の欠点は面倒見が悪いこと&摂食障害&母と娘の共依存(77号 2005・11・17)


こんばんは。(^^) ひらいようこです。ご無沙汰です。

先月バタバタしていたこともあって、
メルマガ発行が遅れてすみません。
 

ではさっそく、前回予告していたテーマからまいりましょう。
  

摂食障害(拒食症・過食症)

拒食症・過食症をまとめて摂食障害と呼びます。
摂食障害とは食事を極端に減らしたり、逆に信じられないほど食べ続け、
そんな自分に嫌悪して吐き戻したりする、心因性の病です。

摂食障害は思春期から30代までの女性に多く、しかも、
豊かな先進国にこの現象が見られます。

豊かな国ほど、子供の数は反比例して減ります。

子供の数が減るということは、親が一人一人の子供にたいして、
興味と関心を昔よりもずっと濃密に、長く寄せ続け、
また、長男だけでなく、他の子供にも高等教育を与えることができます。

平均寿命も延びました。
昔なら孫の顔を見る50代には あの世からのお迎えがやってきました。
子供は早く育て上げて一人前になってもらわなければ自分が困りました。
年金制度も昔はなかったのですから。 

寿命も延びて、豊かで元気な親が増え、『先進』国ということで、
社会は複雑になり、その複雑な社会に対応するため、
学歴が重んじられるようになり、学校教育の期間が長くなったため、
子供の側にとっては、良くも悪く?も、
昔よりも、ゆっくりと時間をかけて大人になっていけばよくなったのです。

親元で暮らす時間は、昔とくらべて、はるかに長くなりました。

昔は、『生きる』こと『食べる』こと『生活する』ことだけで、
皆が一所懸命だったと思います。 

現代のように、お金やスィッチひとつでいろんなことが可能になると、
地面の上で空気を吸い、自然から食べ物を得て「生きている」という、
ナマの実感は薄れてきます。食べ物が豊富にあふれて手間いらずでなんでもできる
分、単純で大切な、何かを見失いやすいのではないでしょうか? 
 

青少年期のアイデンティティ・クライシス

★ 日本にはこれといった通過儀礼がないことも、思春期の若者の
アイデンティティ・クライシスを招きやすい原因のかもしれません。

アイデンティティ・クライシスというのは、ごく簡単に言うと、
大人として完成されるまでの青少年の自我は不安定で、つかみどころがなく、
揺れ動き、もろい部分があるということです。

★ 通過儀礼は、それを終えた若者の精神の安定に貢献するようです。
通過儀礼のひとつに、バンジージャンプがあります。
これは、ジャングルの民の風習で、一定の年齢に達した若者が、
ひとりの大人として認められるための儀式でした。(^^) 

試練をくぐり抜けたところで、一人前の社会人として迎えられるのです。


摂食障害は心の病気なのです

さて、メルマガ読者さんから、摂食障害について質問いただきました。 

はるさんからのメール ここから 
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いつも、楽しみにして読んでいます。
貴方の考えにハッとさせられ、そういうものかと感心しています。

つまらない質問ですが、この間テレビで何となく
耳にした事が気になっています。

世界に、5年も6年も何も食べないで生きている人が大勢いるとのこと。

もちろんダイエットのためです。
水もそんなに飲まずにいるのに、栄養失調になって、骨と皮に痩せて
おなかばかり出ているわけではなく、健康で生き生きしているのです。

便も1週間に1度くらいしか出ないようです。
人間の身体は何も食べないと身体の中で
必要な栄養を勝手に作っていくらしいのですが・・・・・・?
お腹もすかないとの事ですが・・・・・?

質問です。
こういう人たちは、拒食症・過食症にはならないのでしょうか?

 はる

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はるさんからのメール ここまで 

その番組を見ていないので何とも言えませんが、
お通じがあるということは、食事らしい食事ではないにしても、
何かを少しは口にしている証拠ではないでしょうか?

日本でも、夏みかんだけで生きている高齢の男性の方とか、
青汁を飲むだけで健康に生きている主婦の方がいるようです。 

青汁婦人のほうも、きっかけはダイエットだったそうですが、
番組でこの方の腸内細菌を研究所にもちこんで調べてもらった結果、
この青汁婦人は、普通の人間にない腸内細菌までもっていて、
なんと、その腸内細菌の種類や割合は、人間よりも
草食動物のそれに近かったそうです。 

見た目はごく普通の人なんですけどね。

こういう方は、食べ物から栄養を摂取する量や種類が通常よりも
少なくてすむ、一種の特異体質なのでしょう。
からだが要求する食べ物の絶対量が例外的に少ないわけです。 


摂食障害の心理

拒食症・過食症をまとめて摂食障害と呼びますが、
摂食障害の場合は、たんにダイエットだけの問題ではなく、
さきほど申したように、心の病気の範疇にはいります。

でも、食べ物を極端に制限したり、食べ過ぎたあと全部戻したりするので、
身体の健康を害してしまいます。ひどいときには、生命にもかかわります。

フロイトの流れをくむ精神分析医カール・A・メニンガー博士が、
『おのれに背くもの』のなかで、自分を傷つける行為を
『緩慢な自殺』と呼びましたが、その解釈でいくと、摂食障害も
緩慢な自殺の一つにはいることでしょう。 

拒食症の女性は、大人になるのをなるべく遅らせようとして、
食べ物を口にしなくなります。 

自分の母親を これから自分が後を追ってなぞっていくモデル、
一つの将来の自分の女性像、イメージとして好ましく思えないために、
成熟した女性になることを拒絶しているのです。

女性性というものを嫌悪していて、自分の身体が丸みを帯びて
女性らしく魅力的になっていくことを拒否したくて、
ハンガーストライキをしているのです。

※ 大人になりたくないとか、やせているのに憧れてはじめる
拒食に失敗し、過食に走る例もあるようです。
 

2012年5月3日木曜日

『とかげの月/徒然』 『まばたきにブギーマン、闇に愛』の話。


 22日は冬至のはじまり。
 例によってお客さんに「ゆず湯に入るといい」と畑で採れた柚子をいっぱいもらったので、風呂にうかべてみた。
 それはミソギなんだという。

 冬至のはじまりは一年でいちばん夜の長い日。
 年明けまでの冬至という期間は、一年でいちばん長い闇の時間。
 だから目に見えたものだけしか信じない、太古の人々は目に見えたから信じたんだ。

「ここから、太陽は生まれ変わる」

 クリスマスがこの時期になったのも「復活」という黎明から夜明けへのグラデーションに神秘を見たからだというし。そうかイマをさかいにオテントサンが生まれなおして昇ってゆくのか明るくなるのかだったら身を清めよう……そういう敬虔な太陽信仰のもとで生まれた柚子湯の習慣なのだから、クリスマスにこそ柚子湯にはいるべきなのだ。みそげ、そして生まれなおせ。暗闇はここまでだ。

 と、いうようなことを柚子湯に入りながら考えていたら、怖くなってきた。

 私は部屋を真っ暗にしないと眠れない。
 子供のころからそうだった。
 暗闇が怖くなかったわけではない。
 豆電球などつけると、かえってなにかが「見えそうで」怖かったのである。

 いまではコワイからというよりは、薄暗がりを見つけると、目を凝らしてしまうから暗闇を作る……暗闇にはなにが潜んでいるかわからないので目をそらして逃げる、という幼き日の反応こそ動物としては正常なのであって、大人になって臆病さをなくしてしまうから、ヒトはやっかいな問題を抱え込むのだともいえる。たそがれ時は「誰ぞ彼」と首をかしげる思いから名付けられた逢魔が刻だそうだが、薄暗がりのなかで誰なんだ彼は顔が見えないなあ、なんてときにはその顔を覗き込むのではなく、目をそらして足早にすれ違うべきなのである。見えなければいないも同じ。薄明るいからあれはだれかしらんと思って想像がふくらむのであって、真� ��暗闇ならば好奇心もへったくれもない。
 そういう理由で、幼い私も、いまの私も。
 暗闇でないと眠れない。

 どちらにせよ、断言できることは。
「暗闇にはなにかが棲んでいる」
 私はそう信じているということだ。
 幼いころも、いまも。

 とはいえむろん、ブギーマンみたいな怪物が棲んでいると信じているわけではない。